Posts in Category: 2009

語らい羚羊

刹那-逡巡

起きてしばらく、昨日のアルコール分がやはり少し残ってることを感じて、胃の悪心よりも気持ちの落胆の方が大きいことに気付く。

肝機能の低下を感じたのも嫌だったし、それに今日の空模様にもまた厭な予感がした。
悪い一日になる気がした。
ただし、今年の訓戒は『予断は禁物』だった。
先見は必要だけれども、予断をもって展望を塞ぐことの方が今までは僅かに多かった。
今度こそ、それは避けたいと知人に話をしたばかりだ。

楽曲の制作のミーティングに行く。
議案を明確に用意できていなかったことから、稔りがないかもしれないという懸念もあったけれど、結果、いまのところすべて杞憂に終っている。
常に発見がある。
新鮮でそれでいて決して青くはない意見が挙がる。
時間が忽ち過ぎていく。

言の葉は、心算のあるなしに関わらず発した瞬間に主体にも客体にも影響をあたえる。
それはきっと本当で、不要な慎重さが、しかし磊々と無駄な障壁を築いていたことは確かだった。
それさえ気を付ければ、なんてことはない。
皆前を向いていれば前に進むしかない。
進捗の程度こそあれ、逸脱することは考えにくい。
すっと、胸のつかえが取れた気がした。

巡り合わせ。
小さな、目に見えないほど小さな輪から。
指を弾くより短い時間。

帰り道に一人で食事をとった。
別のテーブルには学生の集団がいて、どうやら皆ダンサーのよう。
今日は遠くから新宿まで来ていたようだ。
地元ではブレイクうまい奴はいないから、今度かまそう。
多分全然イケる。
そんなことを喋っていた。
よくわかんないけど頑張って欲しいと思った。

 

 

午睡

プワソンダヴリル


今年もエイプリルフールという行事が終わった。3月に入る頃から起草をはじめ、推敲を重ねる。

それによって不幸になる人がいてはいけない。といって幸福な甘いネタでは衝撃に欠ける。繊細で慎重さを要する行事である。

発動したときには腰を抜かし、帰結(バラシ)したときには、清涼感が一陣の風となってすっと心を吹き抜けるような、そんな嘘が理想だ。

柔らかい時間

専門ではないけど、たまーに写真の撮影を頼まれることがあります。アーティスト宣材がメイン。今夜は光量が得られず難しいけど、雰囲気は計りやすい。暖かくなります。
載せられないのが――残念です。

 

そうなっちゃいます?

住民税高いなとか、少しでも減らないかなとか考えてたら。
こんな報道がございます。
都職員の給与振込に、銀行口座を一名につき二カ所用意しているそうな。
それにより余分にかかる振込手数料は三千数百万。
なんとかならないかおい。
昔は現金払いだったので、振込払い化を促進するために設けられたシステムだそうです。

都の担当者、曰く
「費用対効果を考えると妥当だと思います」

でも振込払い化は100%達成してるんだって。
とっくに。
すると、
「費用対効果を考えると妥当だと思います」

でもでもその効果は数字にはできないそうだ。
えーじゃあ判断材料は?
雰囲気?
「費用対効果を考えると妥当だと思います」
RPGの村人ですか?
「費用対効果を考えると妥当だと思います」

 

 

泥土に眠る

化学調味料に慣れると、ナチュラルな味が物足りなく感じるような、そういう感じが耳にもあるのではありませんか。

人間はある程度、音圧がある音の方が良い音と感じると言われていて、TVのCMなんかはそれを利用しようと、ギリギリまで音圧を上げます。
CMあけた本編の音声が、やたらと小さく感じてしまうこともあると思います。
日々そういうものに慣れてしまうと、映画見た時は大変。
音声に豊かなダイナミクスを持つ映画は、大音量の映画館ならまだしも、家庭ではちょっと聴き取り辛く感じます。
といって音量を上げると、激しいシーンではうるさすぎることに。
最近、映像用の音声の編集していると、特に気になってきました。
でも聴く人の環境は千差万別なので、ターゲットを絞りきるのは不可能でしょう。
そこどうなんだ。

 

 

知ってるあなたはともだち

CS放送とかって、なんでCMはさむんだ。
有料なのに。

NHKも、CMじゃないけどちょっとしたのはさむでしょう。
昔こういうのがありました。
それは、必ず子犬が2匹くらいはしゃいでいる映像に、BGMが、クラリネットとかのほわっとした音。
1分くらい。
なごみ系。
これ、子供の頃よく見た。
見たらそろそろ眠る時間。

それが、さっきやってた。
なんかグッときた。
いまだにやってたとは。
ハイビジョンになってるし。

 

 

裁判と無謬

木村拓哉の検事のドラマが一挙放送されていたので観た。
当然フィクションだし、ディフォルメされているのだけど、いままで活字だけで知っていたことを改めて画としてみると、感じ方も違ってくる。
検察なんて、世話になったこともなければ、携わったこともないので、曖昧な知識しかないし。

地道な捜査の上、ふとした偶然の発見から事件が転がっていく、という展開が多い。
そういうのってドラマとしてはおもしろいけど、わかっていても、やはり行政や司法機関の無謬性みたいなものに懐疑的になってしまう。
所詮は人間の判断などには限界があるだろう。

今年5月から国民もその審判を下さなければいけないわけだ。
嫌だよ。できないでしょ。そんなこと。