Posts in Category: 2011 前半

風が吹けば

花粉症

鼻をかむ

乾く

鼻炎の薬を飲む

乾く

水が飲みたい

乾く

口唇がわれそう

リップクリームを塗る

から

ストローで水を飲む

ストロー屋さんが繁盛
するのか

 

漫ろな気持ち

千年前にはなかった情報は確実に体系化されて

 

百年前にはなかった技術はこんなにも身近にあるのに

 

それなのに、何故ひとは

 

自分は

 

未だこんなにも無知なんでしょうか。

 

読むのが面倒シリーズ 3

たとえば、鍵盤をポーンと弾く。

聴いた人によって、そこに音楽的なこと、あるいは歴史を思う人、
また誰かを思い出す人もいるかもしれません。

こんな散文的な切り口も。

押した瞬間から「ポ」と鳴るまでが【Attack】
そこから音が減衰していく【Decay】
押している間の大きさが【Sustain】
鍵を離した後の余韻が【Release】

こういう時間的な変化の包絡線をEnvelopeと呼びます。
ピアノなら【Attack】は、ほぼありません。
でもバイオリンなどをゆっくりと弾くと【Attack】は長くなります。
Envelopeは、株価の乖離や演算処理なんかにも使う言葉みたいです。

時間的な変化を伴う物すべてに言えることかもしれません。
仕事を始めて、最初は慣れない【Attack】タイム。
スポーツなどの体力配分、ピークを過ぎた後の【Sustain】は底力か。

人間が生まれてからの【Attack】タイムは20年くらい?
【Deacay】レベルの落ち方を思い、
しみじみと「年をとったなあ」とか言い。
なんとか【Sustain】を維持して還暦を迎えて、
文字通り余生が【Release】。

なんてつまらない考え方。
人生はもっと複雑なはず。

【バックナンバー】
*読むのが面倒シリーズ 1

*読むのが面倒シリーズ 2

悲願花

2/17ライブです。渋谷です。あと曲も配信してます。

次回は、「読むのが面倒シリーズ」
たぶん。

 

moon

そのころはまだ、プレイステーションは灰色をしていました。

このところ懐古キャンペーンかのようにやたらと昔の事を思い出す出来事がありました。
それはまた別の機会として。
それでなんとなく昔の事を思い、ふと思い出したのが、【moon】というプレイステーションのゲーム。
少年だった自分には深く印象に残るものでした。
粘土で作ったようなキャラクターに、背景は、水彩画とCGで絵本を作ってしまったようないい雰囲気。
内容は、ラブをキャッチして月に飛ぶのが目的。
色々と常識を覆してくれました。

 

確か【テクノポリス】だったと思うんですが、そんな名前の街にクラブがあって、フロアでDJが曲を流したりします。
でも、それ以外にはいわゆるBGMがありません。
そのかわりレコード屋があり、そこで購入したディスク(MD)を好きなときに流せます。
そのディスクには実際のアーティストが曲を提供していて、その内容も世界と雰囲気を作るのに一役買っていたと思います。
いまでは売れっ子アレンジャー・DJの中塚武のユニット【QYPTHONE】。
【セロニアスモンキース】は後にあがた森魚のアルバムに参加していました。
【Venus Fly Catcher】はエンジニアのNick Jamesのユニット。
三味線奏者で人間国宝・7代目芳村伊十郎の弟子【杵屋和完】。
ジャズからロックからテクノ、エレクトロポップ、ドラムンベース、民族音楽まで幅広いアーティストをピックアップ。どれもちょっとマイナーでいて素晴らしい音楽ばかりでした。
その後サウンドトラックは発売したのですが、すでに現在は廃盤で5万円のプレミアがついています。

 

ちなみに、前述のレコード屋の店員は【BURRN】というキャラクターで、フェンダーストラトキャスターのリッチーブラックモアモデルを持って、ディープパープルのハイウェイスターのギターソロ部分を練習しています。
それから、フレディというキャラクターが白いタイツで独演をしたり。
その他、子供には伝わらないようなメタファやアイロニーみたいなのがたくさん。

 

2011 昔の事

以前新潟にいたころよく行ったのは白山神社で、地元ではメジャーな場所だった。
ククリヒメ、イザナギだけでなく沢山の大神を配祀していたはずだ。

その白山神社が今の近所にもあり、ここ何年かはふらりと訪れる。
こちらはイザナミを祀り、境内には樹齢九百年の大けやきが聳える。
1083年に源義家が奥州に下る際、戦勝を祈願して奉納したそうだ。
とても遠い昔の話だ。

 

数年振りに、正月を家族で過ごした。
そこで、少し前に神楽坂の赤城神社に行った話をした。
新潟では珍しい赤城神社の分祀が、生家の付近にあるらしいと話すと、親はそれらしい場所を知っているようだった。
山岳信仰により自然的に祀られたものか、分祀されたのか由緒はわからないが、祖父の代で交流があったらしく、実際に山伏の格好をした修験者もいたらしい。
群馬赤城山をご神体と祀っているはずなので、まず間違いないと思う。

曾祖父は戦争だか病気だかで早くに亡くなっている。
その曾祖父に連れられて赤城神社の祭りに行ったのが、祖父が持つ曾祖父の唯一の記憶だったそうだ。
これも、とても遠い昔の話だ。

教科書に載るほどの遥かな時代も遠いが、口伝で瑞々しく浮かびあがる昔が、なぜか遠く儚く感じる。